プロフィール
お名前:S&R Racing
性別:男性
出身地:佐賀県
自己紹介:
Singapore 在住モータースポーツ エンジニア(車とバイク)
各モータースポーツ レーシング サポートサービス
競技用点火装置 開発、製造、販売
レース無しで生きて行けない!!
足跡
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おぉ〜!
忙しくなりそうですねぇ
応援してますヨォ...
元気にしとっよ。 今年は仕事でも九州に行くけん かーち...
元気いつ帰って来るとよ知子さんはインターフェロン...
2005 以降 だいぶ戻ってないね。暇なくて。 200...
僕もどこかのヘルパーとしてもぐりこみますよ♪ 前のり...
鉄人さん 五月 の オートポリス戦 当てにして...
今年は忙しくなりそうですね♪
Jackさん。 そーなんです。久しぶりに 実家に 帰...
あっ! じゃ、 6月には九州に帰れるんですね! ...
Jack さん モータースポーツの環境・・・。 ...
元気にしとっよ。 今年は仕事でも九州に行くけん かーち...
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鉄人さん 五月 の オートポリス戦 当てにして...
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Öhlins といえば この方 高崎 尚純 さん
開発者としてヤマハ モータースポーツ部門の頂点に座し、又オーリンズの開発に加わりオーリンズの会社としての方向性さえも変えた人で、オーリンズ ステアリングダンパーの設計者でもある。現在は100% オーリンズ社の仕事をされている。忙しくて大好きなバイクに乗る暇さえないとの事。 九州男児でモータースポーツの激戦を戦ってきた方らしく昇り竜のように研ぎ澄まされた目を持ち、ことば一つにも重さがある。
その 高崎さんが8ヶ月ぶりにシンガポールにこられた。我々のビジネスパートナー Sporting Motors のMr. JOEとの コラボレーションの為だ。現在はどの様な展開になるかまだ明かせないが来年の中ごろには発表できるだろう。我々もお手伝いをさせて頂く事になった。
高崎さんはあのモトクロス世界チャンピオン 光安鉄美選手のチーフエンジニアも勤めた人で、その当時の私からすると雲の上の人的な存在だ。
その高崎さんのお手伝いが出来るなんてとても光栄なことだ。足を引っ張らないように心してかからなければ。
左から 高崎さん、Mr.JOE 、私 佐藤
左から 高崎さん、Mr.JOE 、嘉村
07-HONDA CBR600RR レースベース が日本から シンガポールに届いた。次のオーナーとなる方がインドからマシンを見に来た。
インド国内にまともに持ち込めばいろいろな審査で1ヵ月半かかるので いわゆる ”スマッグリング”と言う方法でマシンを輸送するそうだ。 レースを1週間後に控えているため仕方が無いとの事。この方法だとシンガポールから5日でインド国内に持ち込むことが出来るそうだ。
一度マシンを全バラし、インド国内に持ち込んだ後 元の状態に組みなおすことになる。
心配なので我々も現地に飛び組み立てセットアップをするのだが今月に控えたレースにはいけない、それはマレーシアのチームが今月末に最終戦を控えておりすでに我々と契約を済ませているためインドには飛べない。しかし、来月にもインドでレースがあるそうでそれには間に合うのでその時に全ての状態を確認し最終の仕上げと現地インドの人達をトレーニングすることになる。インドではガソリンのオクタン価が低く最もオクタン価が高くても97オクタンだと言っていたのでとりあえず点火時期を全体的に遅角させ我々が行く前に問題が起きないように処置。そして必ず100オクタンガソリンを手に入れさせることを約束させた。
インドでは現在F-1サーキットが建設中で来年にも開催されるらしい。シンガポールでも来年F-1が公道を利用して開催される。特にインドはまだ、モータースポーツが一部の人達のスポーツとして行われているが、これから盛んになることは間違いない。そこで我々も一歩先んじるために来年からはインドの市場も力を入れていく。
また、インドネシアで白人20人位のグループでHONDAのCBR600RR に乗る人達がいるのだが、そのグループの依頼でこの20台のCBR600RRをレース仕様に仕立ててくれとの以来があった。来月のインドでの仕事が終わったらインドネシアに飛ぶことになるだろう。
近年先進国の白人たちが第三国であるこの東南アジアに仕事で駐在する人達が増えてきた。こうした人達の中にはモータースポーツをこよなく愛する人が多く我々が関わる機会がある。
住んでいる場所が場所だけに第三国での仕事が多い。しかし、我々を必要としてくれる人達も多い。
来年は、マレーシアのGPジュニアの仕事でイタリアにも行くかもしれない。だんだん忙しくなってきた。他にも来年に向けて我々としてもやりたいことが沢山あるが、他からの依頼もこなさ無ければならず。生きていくために仕事は選べず、本業の車のレースの仕事などもありそれもこなす。
我々としては本来GP125やGP250などの純レーサーと関わって行きたいので、まずすでに材料として動き始めたマレーシアの若いライダーたちがGPマシンに関わる体制を確立させる。
シンガポールに届いた状態。
それがこうなって
こうなった
このCBR600RRは異国の地で新たな夢を乗せて走り始める。
このエンジンにはある有名な日本人ライダーの名前が書き込まれており、それを見た次のオーナーは
これは何?と聞くので、ライダーの名前でまた、そのライダーと相方のライダーのレースヒストリーを説明したら、必ずこのマシンを大切にし優勝できるように努力すると言い また、このバイクを手に入れることが出来て光栄だとも言っていた。
この間のテスト走行の時の写真を嘉村が撮ってくれていた。
やはりヘルメットをかぶるとまだまだ若く見える。て年がばれないだけ?
ヘルメットは長年愛用する アライのナイジェルマンセル インディー レプリカ。
私 佐藤
トレーニング2日目
午前中からマシンを再セットアップして、前日の#9 Omar の走りを オンボードカメラからの映像を元に ターン2とターン4などの低中速コーナーからの立ち上がりの悪さを調整しなおし夕方4時過ぎにピットへと移動。
ピットの設営をしていたら嘉村が日本語で誰かと話している。誰かと顔を上げるとそこには
日本人女性が。 あのマレーシア マダッカ エンディアランス レースの時の レッドブル X-1R レーシングチームの 女性日本人レーシング ドライバーの 中村浩子 氏 だ。
奇遇にも 昨日と今日の2日間ポルシェ レーシングスクールの インストラクターを務めていたらしい。 マフィン が有るよと ティー ブレークに誘われ付いていくとそこにはあの元マレーシアF-1 ドライバーアレックス ヨーン の妹 フィリッパ ヨーンがいる。 又その横には
我々のガレージ隣のフォーミュラーBMW、フォーミュラーV6ルノー のエンジニアでポルシエ スペシャリストの Mr. Martin Quick がいた。 世の中は本当に狭い。
Mr. Martin Quick は 彼の名前の党利(Quick 速い) 過去にヨーロッパのほとんどの有名なレーシングチームの監督を勤めた人で彼自身もヨーロッパの有名なレースで何度も優勝しているすばらしいドライバーでもある。
Mr. Martin Quick
フィリッパ ヨーン は 今年のマレーシア マダッカ エンディアランス レースで 中村浩子女史 、ディアナ ヨソフ と3人で組み 惜しくもトラブルに見舞われ2位表彰台を逃した。
また、 フィリッパ ヨーン はバイクの スピードウェイ オーナーの娘でもあるので ちかじか そのスピードウェイ を訪れたいと思う。(我々はバイクであれば見境が無くなる)
レーシングドライバー中村浩子さんは 日本でもレーシングドライバーとして活躍され特に菅生サーキットで有名なようだ。ちなみに中村浩子さんは 2000年の 準ミス日本になった人で 現在でもその美しさは衰えが無い。アライ ヘルメットの広告にモデルとしても出てるようです。
中村浩子さん マフィン とても美味しかったです。有難う御座いました。
最前列 佐藤 その横、嘉村、私の左後ろ フィリッパ、その右で可愛くカニみたいなVサインしてるのが中村弘子さん、その右 Mr. Martin Quick。その横のインド人の方は始めてみる。
その後中村浩子さんがわざわざ帰る前丁寧に挨拶にこられた。やはり日本人だなーと思った。
我々は日本人として忘れかけていたことがある。見習うところがあった。
皆さんもレーシングドライバー 中村浩子さんを、応援してあげてください!!
中村浩子さんのブログはこちら>http://kanaeyou.cocolog-nifty.com/blog/
さて美味しくマフィン. と コーヒー を頂いたところで、急いで ピットに戻ると Mr. Omar はもう来ていて 準備をしていた。 この日は フルコースで行われ 快晴で 絶好のテスト日和となった。
全体的に#9はスムーズな走りをし、安定しながらも好タイムをマークしていた。
最終戦が楽しみだ。
さて、今日は#12 のテストはせず、スペア マシンのテストを、嘉村と二人でした。
前日とは変わってかなり乗りやすく私も気持ちよく乗れた。嘉村もなかなかいいタイムでラップしていた。 しかし、練習不足は隠せない。 翌日わたしも足腰が痛くてまともに歩けなかった。 これからは日ごろから体を鍛えてインストラクターとまでは行かなくとも恥ずかしくない走りが出来るよう継続してトレーニングをすることにした。
来年は現地の若いライダーのトレーナーをすることになるかもしれないので。
MME(マレーシア マダッカ エンディアランス ) の記事はこちら> MME 練習日
11月6日、7日 で 走行会 を兼ねた テスト走行があった。
6日の昼ごろセパンに着き早速 3台のCBR1000RR を仕上げる。
夕方5時から7時にかけての2時間のセッションだ。#9 Omar は 終始苦手なスタートの練習とブレーキングの課題をこなしていた。我々は、#12と スペアバイクの テストを行った。まず #12 のテスト。私が最初に走行テストをした。すさまじい加速
アクセルの開け始めも素直でウィリーをすることも無く全開までスムースな加速と若干のスピンをしながら加速するpowerバンドに入る12000回転からは車体を震わせながらさらに別世界の加速をし始める。嘉村も言っていたが たぶんフレームがもう使い物にならないレヴェルに着てると思う。サス云々より全体的にスイングアームも含めエンジンのパワーを路面にスムーズに伝えにくくなっているようだ。ブレーキは過度特性が荒く250km/h 付近でも 一瞬タイヤをロックさせている。これは来月ブレンボ の新しいブレーキポンプのモデルが出るようでその調整式のポンプに変える予定だ。
それと、#12 は、 前回のレースの時から ある問題を抱えていた。いくら燃料を増やしても高回転部に限って燃料が足りなくなりそのつどマップにて増やすがほぼ変化が無い。
燃料圧力計などをつけてのテストはしてないがたぶん燃料ポンプの問題だろう。
最終戦前には解決しなければエンジンさえも危険な状態にさらされる。大事なエンジンなので大切にしなければ。
嘉村も私の後 スペアマシンと #12 のテストをしていたが。 スペア マシンのテストの時は 楽しそうに乗っていたが。 #12 TSR 製SBKエンジンが載る CBR1000RR のテスト後は 30代半ばに見えるくらい 老けた顔になって戻ってきた。相当バイクと格闘したようだ。
私も含めて日ごろのトレーニングが不足しててテストライダーとしては役不足のようだ。
10月21日
ヒート2 Brent が シリーズチャンピオンを決める日だ。
前日と同じように 嘉村が路面温度から タイヤの空気圧をどうするか聞いてくる。
出走前になると何度も路面温度 湿度 雰囲気温度を測定し 最終決定を相談する。
マシンのセットアップは マシンを見てさわり また、オンボードカメラと データーロガーを駆使して完璧とはいえないがほぼ満足のいく状態に仕上がった。しかし、心配なため 嘉村 と二人で #12と#9 を実際に 近くで乗り サスなどの 最終チェックをする。
やはりいい状態に仕上がっている。
全車 コースインした ウォーミングアップ ランも終わり さあ!スタート 。とそのとき びっくりするようなことが起きた。
Red シグナルが 順番に全部点灯しさあ まさにスタートの瞬間という時に ランプは消えず
全車 エンジンをレーシングして約5秒位してもスタートにならない そして消えたかと思えば又点灯しその後点滅に変わった。その中 20台近くのライダーがマシンを押さえきれずフライング状態となりそのまま全開でスタートしている、#12 と#9 の 二人は 渾身の力を使ってすでに前に行こうとしているマシンを力でねじ伏せその場に留まった。この2人を残すかのように他のライダーは前に進む。 遅れて ゆるりと 2人は走り始めた。 全員に 再スタートをアピールし コントロールタワーと連絡を取り再スタートの申請をする。
サーキット側も了解し再スタートとなった。 生まれて初めての経験だった。 サーキット側によるとスターティングシグナルがうまく作動しなかったとのことだ。
さあ、ここで 数台のマシンがオーバーヒートをした。 1台はスターティンググリッドに戻った時点でエンストしエンジンがかからない。#9 もオーバーヒートをしリザーブタンクから沸騰した水が溢れ出している。Mr. Razlanが状況がわからないため水漏れとだけ連絡してきた。ピットレーンの最後の場所にいた私は500メートルはあるかというピットレーンを工具を載せたカートごとコントロールタワー付近のスターティンググリッドまで全開で走った。 死ぬかと思った、、、
ピットレーンからOmar に話しかけ状況を確認 大丈夫だと伝え安心させる。
レースは8周で行われる事になった。
しかし、こういう状況は神経質なOmarの様なライダーには余りよくない。
案の上 スタートで またもや 失敗!、、、
さあ スタートが切られ 1周目 Brent が Top で戻ってきた 約 2秒くらい 2位以下を離して戻ってきた。3周目 Kawasaki Malaysia Racing の Zamani は 予想道理 遅れ始め17秒台後半でラップしている。#12 Brent は 16秒台前半でラップを重ね後続と一時は10秒以上のアドバンテージを作る。ラスト3周に差し掛かったところでペースを落としホームストレートエンド300メートル付近からアクセルを緩め、なるべくフロントブレーキを使わないようにしてフロントタイヤへの負担を減らしていた。コーナーの進入よりもアペックスからの加速で補い走っている。
余裕を見せてるのではなく確実にゴールするための用意をしていた。普通だったら誰もが見ているホームストレートだけはカッコ付けたいだろうに。
そしてゴール!! 二位との差 約3.165秒 3位 Zamaniとの差8.212秒
完璧な走りで後1戦を残し今年のシリーズチャンピオンを獲得 した!!
#12 Brent Odgers おめでとう!!
そして Pinnapple MotorSport Team Owner Mr. Razlan Razali おめでとう!
さて、#9 Omar はスタートでは失敗したが その後追い上げて4位でゴール 昨日と同じ展開で #7Panjan を抜き去り 以前のチャンピオンより速くなったことを確認できたレースになった。
Mr. Omar が Kawasaki Malaysia Racing の Zamani を捕らえて 抜き去る日もそう遠くない日だ。
後一戦 Omar には 機会が残されている。最終戦ではどんな走りを見せてくれるか楽しみだ。 必ずポイントランキング2位に返り咲いてもらう。
今日のレースは他にも #00、#88、#17、#65 この4台 のCBR1000RR が Top10 入りした。 今年は 大成功の 年だ!
ちなみに 各ライダーの マシンスペック。
#12 HRC Race Bace CBR1000RR 2005 改 2006.5
(TSR製06SBK コンプリートエンジン)とにかく速いの一言!!
(車体周りTSRお勧め部品)
#9 HRC Race Bace CBR1000RR 2005 改 2006.5
(TSR製06JSB コンプリートエンジン)これもまた速い!!
(車体周り>TSRお勧め部品)
#88 CBR1000RR ED仕様 2004 改 SBK仕様
(S&R製 SBK コンプリートエンジン 圧縮比14.2)
(車体周り>TSRお勧め部品)
#00 CBR1000RR ED仕様 2004 改 SBK仕様
(S&R製 SBK コンプリートエンジン 圧縮比14.4)
(車体周り>TSRお勧め部品)
#17 HRC Race Bace CBR1000RR 2005 改 SBK仕様
(TSR製SBKシリンダーヘッド+S&R製SBKシリンダーブロック
圧縮比14.2)
(車体周り>TSRお勧め部品)
#65 HRC Race Bace CBR1000RR 2005 改 SBK仕様
(TSR製SBKシリンダーヘッド+S&R製SBKシリンダーブロック
圧縮比14.2)
(車体周り>TSRお勧め部品)
#00 ギャルフ ウイリアムズ (イギリス人)
#88 ダーク ニコライ (ドイツ人)
佐藤 >自称 3/4日本人 1/4イタリア人
10月20日 ヒート1
レース当日 1日目
朝から好天で熱い、 路面温度も高い しかしサポートレースが行われる時間にはかなり路面温度が下がることが予想される。朝から気温湿度路面温度を頻繁に 嘉村が記録する。
条件は皆同じだ誰がこの条件という名のテスト問題を頭良く解き答えを出すかがレースの結果になる。
待ったなし ヒート1 スタートされた。
1周目 #12 Brent が Top で戻ってきた。#9 Omar は スタートを失敗し10位付近だ。#12 は Kawasaki マレーシア レーシングの 今回ポールポジションを得た ザマニ選手 と テール ツウ ノーズ の デッドヒート。#9 Omar は 3周目 7位 しかしその前にはいたら困るマシンが2台 我々が仕上げた 2004 CBR1000RR ED仕様 改 S&R製SBK仕様エンジン #00(圧縮比14.4:1)と#88 (圧縮比14.2:1) 加速性能 トップスピード 共に #12 にも迫る 勢いがある。 進入で #9 が 距離をつめるが 中間加速で 離れ始めるため どうしても 次のコーナーで接近し抜こうにも抜けない状況が2周ほど続き 自分の影と追いかけっこをするような状況が続いた。それも 1台抜いて もう1台の影との戦いが始まる。我慢の走りでこの2台のCBR1000RR を交わすと 2000年から2004年 4回にわたりシリーズチャンピオンになった Panjang こと Lee Ching Hooi カワサキ マレーシア レーシング #7 がそこにいる。 Panjang は 彼の レコードタイムを 刻みながら周回を重ねていた。 それを見つけた Omar は 彼の出来る限りの走りで 距離をつめる。ラスト3周 ターン9でとうとう真後ろにつけた現在6位ポジション 抜けば5位に浮上できる。さすがの Panjang も 後ろが気になるようだ。 距離を確認している。 最終コーナーで 力尽きたかのように アウト側に ラインをはずれたところを Omar がすかさず イン から抜き去り さらにペースを上げ前を追うが そのまま5位で ゴール。
スタート時のロスと #00と#88 と絡んで 落とした時間 を引いて 有ろう総合時間で行けば 2位 か3位であっただろう。 スタートが問題だ。。。
さて #12 Brent は 最終ラップまで Kawasaki のザマニ とバトルを繰り広げたがその時にハプニングが、1コーナー で転倒者 イエローフラッグが振られた しかし その直ぐ手前ではバックマーカー(周回遅れ)に対しての ブルーフラッグが振られた。 難しい状況。躊躇 する Brent、その間 距離をつめる ザマニ。 そして その後数台の周回遅れに絡むがターン9でもターン14 でも ブルー フラッグが 振られず 周回遅れにからみ3秒有ったザマニとの距離が最終ラップ最終コーナーで0となりまたもや最終コーナーで周回遅れにブロックされたところを ザマニがすかさずBrent のイン をとり 0.311秒差で ザマニが ヒート1 を制した。 このときも 私は一瞬 何が起きたか 理解に苦しむ、、、、
その後 直ぐに 理解した。
ザマニ は ヒート2 を捨てたのだ。 タイヤを温存しながらではヒート1で2位か3位になれてもヒート2ではその保証は無い。 それより ヒート1に賭けタイヤが終わっても良いからチームオーナーに 自分が走れるところをアピールしたのだ。これでヒート2で順位を下げてもタイヤの責任に出来る。#12 Brent が乗るCBR1000RR よりもパワー的に劣るマシンに乗る ザマニならではの 作戦なのだ。 彼はプロライダーとしてKawasaki Malaysia Racing と年間契約し契約金で暮らしを支えている。
それと、#12 Brent が 2位になった理由は まだ マシン自身にある。 彼のせいではないのだ。ライダーとしても努力しているし同条件のマシンでザマニと争っても負けはしないと信じている。 Brentは 典型的な頭脳派でアグレッシブな オーストラリアン ライダーだ。
Brent が ピットに戻ってきた時顔を真っ赤にしていた。よほど悔しかったのだろう。私と目を合わせずうつむいていた。”明日はシリーズチャンピオンだ” ”気を落とさず、明日は全員を周回遅れにするつもりで挑もうじゃないか!” と 彼を激励した。 するといつものように にこやかなBrent に戻った。
この日 Brent とZamani はMSS スーパーバイクの コースレコードを 3年振りに塗り替えた。(2秒以上速い)
Brent > 2:15,355
Zamani > 2:15,310
Omar も コースレコードより 0.511秒 速いタイムを出した
チームオーナー Mr. Razlan と Mr. Brent
いつも陽気な #17 Mr.Martin Poh HRC Race Bace CBR1000RR 2005 SBK仕様(TSR 製シリンダーヘッド+S&R製SBKブロック 圧縮比14.2:1)
Kawasaki Malaysia Racing Top Rider Zamani
19日予選日
前日までタイヤの空気圧のテストを数日行っていた。路面温度による違いを見るため。
さて、フリープラクティス に挑んだ。 全体的に我々の6台のマシンは空気圧を依然より低くしている。#12 Brent が練習後 ”フロントタイヤがパンクしたような感じになると訴えてきた。???? うううむむむ。。 急いで前後の空気圧を高める。
予選が始まった。 #9と#12 は 一番遅れてコースイン 結果は#12が 4番手 #9が6番手。 一瞬 意味がわからなかった。 特に#12は今まで ポールポジションか 遅れをとっても2番手だった。 ラップタイムも思っていたより2秒近く遅い。
今夜は眠れそうに無い、、、#12 Brent が申し訳なさそうに 明日は大丈夫だから気を落とすなと本人自身より私を慰めに来た。
その後考えられることを全て整理して何が問題だったか考えた。ライダーが何処まで行けるか知っているだけに。原因はライダー以外にあると確信した。
データーロガーを見ると驚くことにトップスピードが今までよりも10Km/h ほど下回っている。
エンジンは調子いい。 ううむむむ。。 タイヤを見ると 変磨耗している。均等な感覚で 解けるというより削げたようになっている。 これは、前後タイヤ共にだ。
オンボードカメラを確認するとフロントが進入時に安定していない。#9 Mr. Omar は3ヶ月ぶりにマシンに乗り少し躊躇している。路面が改修されたばかりで滑りやすくところどころバンピーだ。 裏ストレートから最終コーナー手前にアプローチする際、ちょうどブレーキングを始めて1秒後位の所が上って下るような距離にして20メートルほどの盛り上がりがあるため0.5秒くらい250キロのスピードでフロントタイヤがジャンプして瞬間的にタイヤロックしている部分が見受けられる。 #12 Brent が言っていたパンクしたようになるという場所と同付近だ。
この頃ほぼ毎日といっていいほど大雨が降っていた。 私の友人 村山 氏 のことばを思い出した。 水はサーキットのそこいら十に存在する。
日中路面温度が40度以上有っても 日が暮れ始めるとどうなるのだろう。路面下にある大量の水分が地熱によって蒸発し始めるとその量にもよるが一気に路面温度が下がるのでは、、8月頃は夜間でも路面温度が高く30度を下回ら無かった。 日没の時間でも45度付近だった。 それが日没時間で20度付近まで下がっている。肌寒くも有った。今はモンスーンと呼ばれる大雨の時期だ 又、予選は遅れに遅れ夕方6時30分ごろから行われすでに薄暗くなっていた。
最後にコースインしたことから遅いライダーたちを抜きに抜いて1周だけほぼクリアー状態でのタイムアタックとなった。
二台ともまだまだ燃調も合ってない。
ほぼ原因がつかめた。
今頃他のチームの連中は間違いなく大喜びしていることだろう。
#12 Brent が今年初めて4番手スタートとなった。
少しの間 喜んでいてもらおう。
明日はこちらが微笑む番だ ^_^
安心して眠りに付く。 -_- Zzzz。。
いつ見てもクアラルンプールの ツインタワーは美しい
男の三種の神器
#9 Mr. Omar の家 バイクだらけだった。
前回のレース Round 4 後の疲れとシンガポールに戻ってから待ち受けていた引越しとでバタバタし、ブログをアップデートする気にもなれなかった。やっと気分を取り直して書き込みを始めたがもう次のレースに準備にかからなければならない。 ふーーーー。
今を逃すと私の日記としての機能を果たすこのブログに内容が欠落するので 前回のRound4 の内容を簡単に述べる。
Round4は MOTO GP マレーシア Round の サポートレースとして組み込まれ 同レースWeek に行われた。
我々は レースが始まる約2週間半 前に現地入りして #9と#12 がRound3 の時に受けた転倒後の修復調整をするのと、ギアの入りが渋いと言う前々からの問題を改善すること、また、新しいタイプのECUを取り付けゼロからのマップ作り。又、予備用マシンの組み立て。 ベースは2004年式のCBR1000RR を使いエンジンは05JSB使用。その他は06のパーツを組み込み仕上げる。
マレーシア スーパーシリーズ のオープンクラスのレギュレーションでは 年式が異なっても
エンジンとフレームパーツなどを混同し組み上げても 問題視されない。
今回もいつものようにいろいろあったが。 またもや公道での0-300Km/h テストを嘉村が行った。 ちなみに 今回はセパンの近所の警察の方々にご協力していただき 一番交通量の少ない時間帯を選び通行止めをしていただき公道で堂々とテストえをした。
この3ヶ月まともにテストも出来なかったしMOTOGP Week は テストも行えなかった。
それと言うのも Sepang サーキットは FIA とFIM からの 指導で 幾度と無くコースの改修を強いられ まともにテスト日なども入れることが出来ずほとんどのチームはテストなしで
このRound4 に挑んだ。 我々が そんなことでテストをあきらめなかった。 Sepang サーキットに隣接する約4キロの直線を使った公道公認0-100Km/h0-200Km/h0-300Km/h 連日テスト を3台のCBR1000RR で行った。 結果は 上場。 レース日に向けて自信が生まれた。 又今回の課題はエンジンpowerよりも、いかに乗りやすいバイクにするかが終始着目点にし足回りの調整やシフトチェンジをスムーズにしコーナーリング中の安定性やブレーキング時の安定性、特に各コーナーのアペックスからアクセルを開けてそこから20メートル後付近間でいかに短距離短時間でマシンを安定させパーフェクトなグリップをさせアクセルを全開に出来るかが目標となる。これは全ての要因が関係してくる。ライダーの繊細なテクニックとバイクとの信頼性と同期化が必要になる。路面に逆らわず路面と調和して加速する必要がある。
今回クラッチ関係のアウターハウジングと STMスリッパークラッチを新しいものに変えまた、多少のスプリングレートの変更をしいつものようにクラッチプレートを真新しい物に交換した。
STM社 も未だ ギアが渋い問題を解決できずにいるが、とうとうベストの部品の組み合わせを見つけた。出来上がった瞬間 嘉村が”これこれ!!!!やっぱこうなくっちゃ!!と大喜び。^_^
それと言うのも、STM社 の全てのオプションスプリングをそろえ レリーズシリンダーもHONDA純正品、とSTM製レリーズシリンダー、HONDA純正マスターシリンダーとブレンボ カタログにある全てのサイズ、のマスターシリンダー、
HRC クラッチプレート、HONDA 純正クラッチプレート、アウタークラッチ バスケットなど ほぼ、これ以上ないだろうと言う部品をテストしてきたおかげでいろいろな組み合わせで遊べるので今回やっと納得の行く組み合わせが見つかった。
どう表現したらいいのだろう。ベアリングの動きさえもスプリングの反力さえほぼ感じず触れたくらいで瞬時にシフトアップダウンをどんなにハイスピード、高回転からでも行えるようになった。しかし、振動などで勝手に変わることなど無い。また、クラッチのすべりなどの耐久性も上がり前回まではレース Week ぎりぎり持てるかどうかだったのが2Round 持つのでは?というくらい長持ちする。勿論スリッパークラッチは今まで以上に機能している。 やはり ダイヤルゲージ、マイクロメーターなどを駆使し全ての異なる組み合わせによるデーターがあって出来た結果だ。
以前 HRCのマニュアルに記載してあるようなBTL クラッチの調整 測定要項のようなデーターは無いのかと イタリアのSTM社にお願いしたが”イタリアSTM本社まで出向いて講習を受けなさい”との回答が来た。 ”ううむむむ、、日本人をなめてかかっている!!その時は馬鹿にされたようで頭に来たが。 我がチームのオーナーに感謝!! ほしい部品をを全部注文させてくれた。デヴェロッパーにとってお金が一番問題になる。STMの製品は使えるし値段も手ごろなのはいいがアフターサービス体制がなってない!!
今から考えれば HRCのBTL Kit が十分に買えたかもしれない、、、時間ももったいなかった。 しかしSTMの部品はレースサポートとして 破格の値段でもらっているから仕方が無い
これはミシュランタイヤにも言えることだ。 早く日本製 製品を使えるようになりたい。 ブリジストンタイヤ などの 日本製のサービスに比べると 欧州製部品メーカーは自分のところの製品が間違いないと高をくくっている!!
大阪出身 木田氏のバイク
タイランド出身の GP ライダー
引越しをした。 シンガポールに来てもう何回目だろうか。7回以上は引越ししたかなー?いつもそうだが今回も引越し屋さんを雇わず自分と嘉村にも手伝ってもらった。困った時はいつもそうだが”ここに佐賀の友達が居たらなー”とか”生田 満か 古賀啓史(自称”走りの鉄人ヒロフミ”)がいたらなー”とか言う。
両名は共に嘉村の友達で私も良く知っている。生田は私の会社で働いていたことがあるし、古賀(鉄人ヒロフミ)は彼が高校一年生の頃私の会社を最初に訪れ、私の会社が車専門のチューニングショップだと判りながら”バイクチューニングしてくれますかー?”と とぼけた質問をし、それからの付き合いで私が日本を離れる2000年頃はドッグファイトやLife などのチームで走っていた。
この8年でいろいろあった。今の生活もどんどん バイクや車のレースの世界に戻っていっている。一時は誰から依頼を受けても断っていたが、根がレース好きだから今に至るのだろう。離れようとしても離れられない物がある。どうしても私の人生に付きまとってくる。
幸せなことなのだろう。離れられないのならとことん付き合っていこうと決めた。水の様にどこへでも順応し姿形を自由に変え岩をも砕く、そんな自由で力強い自分でありたいと思う。
十代の頃、近くではどこのバイク屋さんに行ってもどんなに金をつぎ込んでも思った通りに仕上げてくれず、有名なショップは佐賀県から遠く、それならと自分で独学で勉強し始めその後バイクを理解するためにTOYOTAに入社した。上司も理解があり徹底的にエンジンとは何か、又、制御システムとは何かを教えていただいた その当時 新郷さん というトレーナーに付いていたが皆は”仏さん”と呼んでいた。実際には鬼のような人だった。
その仏さんが”佐藤 お前はどうしてTOYOTA自動車に入社した?”と聞かれ”バイクを理解したいし、必ず電子制御エンジンシステムの時代が訪れる。バイクには未だ投入されていないし一番技術的に進んだトヨタ意外に考えられなかった。と答えると。”よし!! 必ず良いバイク屋になれよと大笑いしながら私の肩を叩いてくれた。”お前は正直すぎて面白い”とも。。。。講習会の時などに同期の同僚たちにこの仏さん”佐藤のようにしっかりした目標を持って勉強しろよ!!”車のレース屋でもバイクのレース屋でも良いからここで得たことを最高のステージで発揮しろ!!”それがお前たちの生きがいになれるように”と
25年以上前の佐藤
17の頃
15年前の私の HKS Pro Shop
カウンタ
今日 : 838
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