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ワールド筑波、テクニカルスポーツ関東総帥の橋本さんが亡くなった。

先日ブログに書いた筑波へ行ってきたのは、実は親父(橋本さん)を見舞いに行ったのだった。カツ(息子)から電話があり「まささん、親父は一月いっぱいです」と言われたからだ。

でも病室で親父は「なんだ!お前!ケンタは?学校か?」と憎まれ口を利く、相変わらずだな(苦笑)と思いながらも案外元気そうで良かったと病院を後にしたんだ。

そして、1月20日朝7時46分に私の携帯に着信履歴が残っていた。

宛名は「橋本カツ」となっていた。

その瞬間「あっ親父死んだんだ!」とわかった。

直ぐに電話したけど当然つながらない。

そのうちカツから電話が再度あり予感は的中した。

 

50年ほど前に男達は鈴鹿を目指していた。

藤井テルヨシ(私の父)橋本勇(筑波の親父)数名の若い衆達だ。

千葉県船橋サーキットの近くで経営していた会社を後にして

当時は山賊が出ると言われていた鈴鹿へ開拓者のように来たのだ。

その後10数年鈴鹿で従事してくれた筑波の親父は

再度、新天地を求め筑波サーキットへ単身乗り込んでいった。

それが、ワールド筑波、テクニカルスポーツ関東の誕生であった。

約30年前に私が鈴鹿へ帰ってきたとき

テクニカルスポーツと言えば関東の事であり

ワールドと言えば筑波の事を指すぐらい筑波の親父が燦然と輝く星であった。

全日本歴代チャンピオンの輩出、カップヌードルなど有名スポンサーを得とくし

営業面でも日本一であった。

それに比べ本家であるはずの鈴鹿ワールドモーターは自動車の修理工場も廃業同然、

テクニカルスポーツは廃止状態。誰一人活動もしていなかった。

だから当然だけど私が目指したのは実の父ではなく

筑波の親父を目標に「何時かは親父みたいになりたい!必ずやってやる!」

と燃えたのだった。

でも何時までたっても勝てないね!

父も親父も当時の事は何も語ってくれないのだけど

何十年前にどんな約束をしたのかわからないが

男達が共有した夢を持ち

同じ名を掲げて守り抜きとおしてきた事実は今ここに生きている。

何かにつけて、やれ金だ権利だと主張ばっかりする世の中だが

こんな男達が存在していたのだ。

スポーツ界で「侍」と言う言葉を使う風潮があるが

軽く使わないで欲しい!

私は侍には会った事がないが

橋本の親父こそが「侍」なのではないだろうか!

そんな思いを持ちながら二日間を親父と過ごしてきた。

ゆっくり眠って欲しい!

必ず我々が継続していく!

 

投稿日時: 2010/01/23 00:36:01   投稿者:【 藤井正和 】
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